公開初日に観に行ってから、今の所合計6回劇場に観に行ってしまった「6才のボクが、大人になるまで。(原題:BoyHood)」。
本当に「生涯ベスト」って言って良いぐらい、グサッと突き刺さってしまった作品でした。
映画批評とかは偉そうで嫌なんですけど、「どこがそんなに良かったの??」っていう所を自分のためにもまとめておきたいと思ったので、備忘録的に残させてもらいます。
主に下記5つのトピックに分けて、その魅力を考えてみました。
1)撮影手法がマジにすごい
2)本当に12年かけて撮ってるからこその、「余計な演出」の排除
3)一見平坦に見える日常描写が意味する事
4)全方位的に張り巡らされる感情移入対象
5)観終わった後押し寄せる凄まじい感慨
1)撮影手法がマジにすごい
まず特筆すべきは撮影手法ですよね。
エラー・コルトレーン君演じる男の子メイソン君が、6才から18才になるまでの12年間を「実際に12年かけて撮影する」っていう、過去の映画史でも例を見ない手法で撮影されてる訳です。
それをドキュメンタリーじゃなくて、あくまで物語のある一本の作品として紡いでいくっていう、今までなかったとんでもない方法で作られてる作品な訳ですよ。
具体的には、毎年夏にキャストが数日間集まって、それぞれの1年間での成長とか体験した事を摺り合わせて脚本を調整して撮影する。そしてそれを12年繰り返すっていう撮り方らしいです。
コレって普通に考えると「リスクしかない計画」なんですよね。
要は、12年間の間に、例えば途中でキャストが病気になったり、途中で役者をやめちゃったりする事もある訳で。(「北の国から」の正吉のパターンですね)
あとは「制作費を回収できるのが12年後」っていうリスクのある作品に誰がお金出してくれんのよ、とか色んな障害がある訳ですよ。
だから、そんな「ハードルしか無い」っていう状況を乗り越えてきちんと1本の映画として仕上げている。
この時点でまずとんでもない作品て事が分かる訳です。
2)本当に12年かけて撮ってるからこその、「余計な演出」の排除
子供から大人になるまでを描く映画ってたくさんありますよね。
そういう映画は、普通時間の経過感をどう伝えるかっていうと、「役者そのものを変える」とか、あるいは「1年後」みたいなテロップが入る演出とかが必要になりますよね。
一方この映画は、前述の様に「マジに1年ごとに撮影していく」っていう手法なので、そういう事が全く不要な訳ですよ。だから、テロップとか無しでシーンが一瞬切り替わる変わるだけで、いきなり翌年になったりするんですね。
特に子供は、背が急に伸びたり声変わりしたり変化が分かりやすいので「あ、今1年経ったのね」っていう事を、観る側に余計な演出無しで明確に示す事が出来る訳です。あと、使ってるゲームやSNSとかのテクノロジーがどんどん変化していくみたいなね。
そういう、「人物や環境の変化をそのまま映し出す事で時間の経過を示す」というスタイルが、まさにこの作品ならではの不思議な映画体験感の源だと思うんですよね。
3)一見平坦に見える日常描写が意味する事
話の内容は、メイソン君が経験する「毎年夏の数日間の出来事」を、12年間分描いて行くっていう形です。
ただし、基本的には、一見すると平坦な日常描写がずっと続いていく感じなんですね。
だから終わった後、隣に座ってたカップルの方なんかが、「ストーリーに波がなかったよね」とか「退屈だったね」とか話してたんですけど。
でもその「一見平坦な日常描写によって、この映画が何を示したいのか」を読み取っていくことが大事な事だと思うんですけど。
それはつまり、「自分たちの実人生と同じ様な、普通の日常そのものを12年間分描き出す事によって生まれてくる感慨」って事だと思うんですよ。
前述の通り、「毎年夏の数日間を切り取る」っていう構成な訳ですよ。だからこそ、そこであまりにドラマチックな展開が毎年訪れたら、それこそ逆に不自然じゃないですか?
「人生ってそんな都合良くいかないよ!」っていう風に感じちゃって、この撮影手法の魅力を削いでしまう方向に行くと思うんですよ。
しかもその普通の日常描写っていうのが、まるで自分が経験した事ある様な既視感のある描写だったり、ユーモラスな場面の連続なので、僕的には退屈さは全く感じなかったんですけどね。(だから前述のカップルと2時間ぐらい議論したい気持ちです)
あるいは、ふとしたセリフだけで「あ、1年間でこういう風に価値観が変わったんだな…」みたいな事が読み取れたり、「映画で映し出されない約360日」の間にどんな事があったのかっていう、余白の部分を類推する楽しさがあるので、一時も暇とか感じる瞬間は無かったです。
で、何が素晴らしいって、物語上の「明らかにメイソン君の人格形成に影響を及ぼす様な、比較的大きな出来事」と「一見意味の無い様な普通の出来事」が、全く同等に語られるっていう所だと思うんですよ。
それが逆に、「自分たちの実人生と全く一緒だ…!」っていう感慨に繋がる訳ですよね。
例えばさ自分の人生を振り返って、「何か知らないけど、あの時アイツの言ったどうでも良い事が頭に残ってる」とか、「こういう状況だと、なぜか毎回あの出来事の事をフッと思い出しちゃうよな」っていう事ってあるじゃないですか。この感じを、監督がこの凄まじく特異な撮影手法の中で表現したいんじゃないかなと思いました。
だから、「今まで経験した全ての瞬間の累積が今の俺を構築してるんだ」っていう、実人生そのものの感慨と重なり合う。ここがこの映画の大きな魅力なんじゃないでしょうか。
4)全方位的に張り巡らされる感情移入対象
メイソン君が大人になるまでを描く作品って事は、当然、母親・父親・お姉ちゃんとか、周囲の人々も12年間の間で成長する訳ですよね。だからこそ、「誰の立場で観るか」っていうだけでも、受ける感慨も全く異なる訳ですよね。
例えば、父親役のイーサン・ホークも12年間の間で成長してる訳ですよ。
最初は自由主義者風な感じでクラッシックカーに乗って登場した彼が、数年後には堅実なサラリーマンになってミニバンに乗ってる、みたいなさ。
人生の中で選択をする事で、ある可能性を捨てる事になる。でも大人になるってそういう側面もあるよなーっていう意味で、父親目線で観る事も出来る訳ですよ。
あとお母さん役のパトリシア・アークエットさんの素晴らしさですよね。最後の方のある場面、映画史に残る名シーンだと思います。ほんと。
個人的には、僕も姉がいるので、お姉ちゃん役のローレライ・リンクレイターちゃん(監督の実の娘さん)の立ち位置も最高でした。普通姉の方が弟より先に反抗期を迎えるので、弟を嫌ったり、周りの全てに対して中指立てる様な時期があるんですよ。
でも何年かたって、今度は弟が反抗期になると、姉は既にちょっと大人になってる分「叱ってくる人から弟をちょっとかばう感」とかさ。うわー、分かるわーの連続でしたね。
この様に、感情移入対象が複数用意してあるので、誰目線で観るかによって、受ける感慨も様々なんじゃないかと思いましたね。
5)観終わった後押し寄せる凄まじい感慨
映画が終わってエンドロールが流れてる時に、こんなシーン・あんなシーンあったなって思い出すと、ほんと涙腺決壊どころの騒ぎじゃないぐらい号泣してしまったんですよね。本当に「全ての瞬間が愛しく思えてくる」というか。
それもまさに自分の実人生と同じだと思うんですよ。
例えば高校時代、大学時代の事とかを思い出すと、当時は毎日退屈だなーとか、むしろ最悪な毎日だなぐらいに思ってた事ありますよ。でもやっぱり今振返ると、それがものすごく愛しく、かけがえの無い日々に思えてくるじゃないですか。
様は、前述の実人生の感慨とも繋がるんですけど、「一見最悪な出来事でも、振り返って考えたら全てがクソ素晴らしい」って事ですよね。
例えば、終盤メイソン君が興味を抱いて夢中になる、18才以降の今後の彼にとっての大事なアイテムがありますよね。それを与えてくれたのは誰?みたいな話ですよ。ネタバレになるんで細かい言及は避けますけど。
だから、その瞬間だけで考えれば嫌な出来事でも、振り返ったら良い事にアップデートできる。
そんな事を、明確なセリフとか一切なしに、映画の構造そのもので雄弁に伝えてくるあたりが、この映画のとんでもなく恐ろしい所だと感じましたよね。
まとめ
一応この様に、大きく5つのトピックに分けて「ここがスゴイ」って所を紹介した訳なんですけど、本当はこの倍ぐらいの分量で語るべき所があるんですよ。「オープニングで、メイソン君が話す一番最初のセリフが実は…!」とかね。言い出したらキリが無いんで止めときますけど。
前述の通り、「一見普通の日常描写」とか「映画では映し出されない部分」っていうのが用意されているが故に、観る側に解釈余地を大きく設けてるタイプの映画だと思います。(だから、監督の狙いとは別の所で勝手に感動してる所もあるかもしれないんですけど)
とはいえ、そんな身構えずに観なくても、その日常的なシーンが全然普通に笑える所ばっかりだし、そもそも「パッとシーンが変わると世界そのものが明らかに少しずつ変わって行く」っていう構造自体が、素直に観てて楽しい部分だと思いますし。
2/23のアカデミー賞では主要部門にいくつかノミネートされてますが、おそらく確実に何部門かでは受賞になるんじゃないでしょうか。
11月から公開されてますが、そこで受賞すればさらに上映期間も伸びると思いますので、ぜひ劇場に足を運んでみてはいかがでしょうか。
気に入るかどうかは人それぞれだと思うんですけど、少なくとも、多分もう二度と無い様な贅沢な手法で作られた作品を、今劇場で観れるチャンスって事は把握しといてほしいです。
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